“ルパンは「カリオストロの城」で終わった”が出発点
映画のルパン演出の話があったのは84年のことですね。当時僕はスタジオぴえろを辞めてフリーになったばかりで、
暇でブラブラしてたんですけど、宮さん(宮崎駿監督)から話があったんです。もともと宮さんに相談があったみたいですね。宮さんとしては全くやる気はなくて、あんたがやれって話だったんです。
僕もルパンは「カリオストロの城」(79)で終わってると思ったし、作る意味があるかなとは思ってたんです。どうしても「カリオストロ」の話になってしまうんですけど、あの時点でルパンは死に体だったと思うんですよ、僕は。宮さんもたぶんそう思ってた。だからこそああいう中年ルパンを描いたわけで。
もともと宮さんは、ルパンが盗むものがなくなっちゃったと言ってた。宝石であれ現金であれ、何を盗んでもさしてカッコイイと思えないって。泥棒であるルパンが何を盗めば一番同時代的であり得るのかという話はその時点で宮さんとだいぶしたんですが、「カリ
オストロ」の時点で既になかった。だから何を盗んだかというと、非常にあの人らしい企みがあって、古典的な物語の枠組に回帰したというか、贋札の原版という動機はあるけれども、最終的にはクラリスという女の子の心を盗んだ。もうこれ以上盗むもんないじゃな
いかって。普通なら恥ずかしくてやらないことなんですけど、宮さんは抜け抜けとやった。それが「カリオストロ」の良さだと思うんですよ。
僕がルパンをやろうと思った時には、まだ盗むものあるんじゃないかと。それは僕の考えた結論で言うと「核」なんです。成り行きでそうなっちゃうんですけど、核を盗む。その時点でやれるんじゃないかと思ったんです。でも当時僕が付き合ってた若手のアニメーターたちを集めて話をしたら、なんで今さらルパンをやるんだって答えしか出てこない。最初のシリーズ当時、僕は既に学生で、アニメーターたちは中学生か小学生くらい、その人間たちがなぜ今ルパンをやるのかという動機が何もなかった。どう説得したかというと、そういうルパンだからこそ、同時代であるような何かを盗むことに成功すれぼ、非常なインパクトになるんじゃないか。そして旧ルパンを手掛げられた諸先輩方に対して、若い人間で何がでぎるかという回答になるだろうと。その二つが動機で始めてみようと思ったんですけどね。
ある意味で言えば当時すでにルパンは死に体であるという認識から出発したし、それ以前に僕らの一番の認識は「カリオストロ」で終わってるんだっていうこと。全てそこから始まったんですよ。今でこそルパンと言えば殆どの人が「カリオストロ」と言うんですけど、公開された当時は、これのどこがルパンなんだと言われてたわけですよ。試写の時、東京ムービーの当時の杜長だった藤岡さんと宮さんは暗闇にまぎれてコソコソと這って逃げ出したって話で・・・。ルパンファンから強烈に反撃をくらうだろうという覚悟はしてたと思うんです、全然カッコよくないですから。ワルサーも撃たなきゃ、シャレた車にも乗ってない、女を片っ端から口説くわけでもなく、ただの中年のおじさんみたいで、疲れちゃってる。ライターでもただ火がつけばいいから百円ライターでいいやっていうのが象徴的に使われてた。カップラーメン食ってるし。公開当時で言えば全然ルパンらしくないルパンだった。
それが数年たってカルト的な人気が出始めて、あっという問にルパンといえば「カリオストロ」ということになってしまった。僕はある意味では同じことをやろうと思ったわけで、つまり今までと同じルパンを継承するという話では何もなし得ない、大胆に読み替えするしかないと。さんざん手垢がついてイメージが出来上あがってるものだから、それを打ち壊すということで僕は始めたし、宮さんもそれを期待してたみたいだった。それが企画のすべてですね。そして伊藤(和典)君に相談して一緒にやってくれという話になったんです。全てが虚構、ルパンなんて存在しなかったという話なんです
一つ思ったのはルパンというのは何者なのかということですね。これを物語とは別の柱として、つまり横軸に設定してみようと思った。ルパンって果たして何者だったのかということをルパン自身に問わせてみたい。実を言うとこの部分が実現できなかった一番の理由だったのかもしれたい。
もう一つはやっぱりルパンが何を盗むのかということで、宝石や現金だとか物質的な対象でないものを考えた。あくまで動機なんですけど、化石なんです、それも天使の化石。現実と非現実の狭問にあるようなもの。大戦中にアフリカで発掘されてナチスドイツの手に渡って、そしてイスラエルに渡り、なぜか日本に持ち込まれている。これを縦の話にしようと思った。
最終的にそれはフェイクで、イカサマなんですよ。そもそも言葉で思いついた発想が「虚構を盗ませる」ということなんです。最終的に捜し当てたものは天使の化石じゃなくて、ただのプルトニウムだったと。しかもルパンがそれに触れることで東京が吹っ飛ぶという話なんです。もちろんそれも含めて全部フェイクなんですけど。実際には作動しない原爆で、全部がフェイク。だからルパンだけが現実であり得るわけがない。ルパンもフェイクであると。最終的にルパンなんてどこにもいなかったという話にしようと思ってたんです。
じゃルパンだと思ってたのは誰なんだということになるんだけど、一つあったのは、原作でもそうだけど、あの連中はみんな変装の達人なんですよ。最初ルパンだと思ってたのが次元だったり、銭形と見えたのがルパンだったり。キャラクターが確定しないような構成にしたらどうかなと考えたんですよ。全て事件が終わった段階で次元と五エ門が撤退するわけです。その時ルパンはいなくなっていて、ルパンはどこへ行ったんだ、という話を目論んだんです。
全部が虚構で全部がどんでん返しで、確かなものなんか何もないという話。世の中に唯一確かなものがあるとすれぱ、それは当時で言えぽ「核」だった。それを活劇の枠の中に入れようという、当時の僕としては最大限の企画だったんですよ。ある意味では非常に調子に乗ってたわけで、行けるところまで行くぞという気分だったんです。
もしかしたらルパンは最初からいなかったんじゃないか、ということの結論が得られれぱ、最終的にルパンにとどめを刺せると思ったんです。宮さんが僕に期待した役割はまず間違いなくそうだったはずなんです。言葉としては言わなかったけど、今さら古臭いオヤジたちにルパンをいじらせたくない、自分はやりそこなったけど、自分より後の世代であるあんたの手でルパンに引導を渡せ、ということだったと僕は理解してる。「カリオストロ」のイメージの強さに闘わずして撤退
ところがこれが本読みで引っ掛かったんです。結局本(脚本)という形でまとめきれなかったんですよ。一応初稿までは辿り着いたんですが、まだこれからというものだったし、こういう話は本では固めきれないんです。コンテの段階でなけれぼ判断できないことは
東京ムービーのプロデューサーは分かってたけど、読売TVや東宝のプロデューサーたちが強力に反対したんです。要するに何が何だかさっぽり分からんと。ルパンというのはもっと明解で子供から大人まで楽しめるものだと。具体的に何かって言うと「カリオストロ」
なんです。「カリオストロ」に関する思い入れ、が、ファンの人たちだけじゃなくて、製作者側にも強烈にありましたよ。何度も見てから本読みに臨んだとかね。ハナから勝ち目はなかったんです。非常に皮肉な話なんだけど、同じようなことを言おうとしてたのに、「カリオストロ」のイメージに闘わずして撤退したというか。結局この話はなかったことにしてくれと。
それで違う話を考えてくれってことになったんだけどルパンでやる意味はこれしか残っていないってことで出した企画だから、代わりのアイデアなんかあるわけない。しかもそれに半年以上準備かけましたから、そういう意味で言うと最後は喧嘩別れ。かなり自身があった企画だったので、しばらく立ち直れないくらいショックでした。
僕が半年時間食っちゃったから、同じ公開日程で後を受け継いでやった方々もエライ目にあった。それでできたのが「バビロンの黄金伝説」(85)。基本的に東京ムービーはタフな会杜で、その後もルパンを何回も作ってるし、僕ももうこれで仕事来ないだろうと思っ
てたら、翌年また来たしね。宮さんには、クビになりましたって話をして、当時阿佐ヶ谷にあった二馬力(宮崎監督の事務所)で残念会を開いて一晩飲んで、それで終わりですよ。こんな話にしようと思ったってことは言いましたけど、どう思ってるかは分からなかったですね。
中核になる若いアニメーター達も、本当に自分達が手を貸して映画を作るほどの新しいルパンが見えるのかどうか、最後まで半信半疑だったと思いますよ。結果的には一カットも作画しないまま、自費で中華料理屋の二階で残念会を開いて解散したんですけど、何人かの人間はそれで離れちゃったし、そのダメージは結構大きかった。
本を書いてくれた伊藤君には、あれも入れろこれも入れろで、酷なことをしてしまいました。今思えぼ当
時僕自身がイケイケで、限度ということを知らなかった。自分の頭の中だげで突っ走るんじゃなくて、周りのぺースに合わせて常に半歩前にいることを示さないと周囲が不安になるということを学んだし、プロデューサーをいかに説得するかという技術でもまだまだ詰
めが甘かったということで、非常に反省しましたね。ルパンのアイデアはその後の押井ワールドヘ
その後で作った「天使のたまご」(85)に、そういうものが全部流れ込んじゃったということはありますね。”天使の化石”を持ち込んで、成立したかった僕のルパンの復讐戦だったんです。
実際、そのルパンの中で考えてたいくつかのアイデアは後の作品でみんな使っちゃったんですよ。そういう意味で言えぼ僕自身は充分元をとった。惜しかったという感情は今となってはないですね。
なおかつ一番大きかったのは冷戦が終わっちゃったこと。それなしには当時考えていたルパンは成立しないですね。虚構の最たるものが冷戦だったわけだから。
出だしは今でも気に入ってるんです。どこか外国で真夜中に列車が到着して、若い女の子が降りてくる、それが依頼主。その駅にウェルカム・トゥ・ネバーランドってあるんです。冒頭からネバーランドにいる男なんですよ。酒場でポーカーやってバカ勝ちしてるんだけど、袋叩きにあったパンツ一丁のルパンと次元が道々話す。「そろそろ何かやろうぜ」って次元。ルパンは「今さら何をやるんだ」ってくさってるんです。
そこに女の子が来て何やら不可解な依頼をするという出だしなんです。
物語の方の端初は、ガウディみたいな訳の判らない狂気の建築家が、東京のど真ん中にバベルの塔みたいなとんでもないもの建てて、完成当日に塔の天辺から飛び降りて死ぬ。仕掛けた本人は冒頭で死んじゃう、ということなんですが、これは「機動警察パトレイバー」(89)で使いました。
銭形含めて五人は全員出る話なんですけど、不二子は他の四人とは最後まで会わない。レポーターなんですよ。盗まれた化石の後を転々と追っかけて傍証を固めていく。段々虚構であることを明らかにしていく役割だったんです。これまた「パトレイバー」で二人の
刑事がやったことと同じ。ルパンが天使の化石が眠っている塔を登って行くというクライマックスのアクションは「パトレイバー」の方舟でやっちゃったし、虚構の中で東京を壊滅させるというのは「機動警察パトレイパー2」(93)でやってるから。主人公が不確定
な物語っていうのも一部「攻殻機動隊」(95)で使ってしまった。だからもうスカスカ、だしガラになっちゃった(笑)。
あの当時はそれだけいろんなもの抱えて、頭の中あふれ返ってたんですよね。だからうまくまとめきれなかった。やっててもどっか破裂してたかもしれないですね。ルパンたちの死に場所は……
銭形っていうのは、宮さんたちは愛してたみたいだけど、あれは自分たちのことだから。仕事熱心で家庭よりは仕事、どっかしら純情で。結果としては周りに多大な迷惑をかけてる。僕は銭形をどっか突き放してるんです。たまたまこの十年ずっと警察ものをやって
きたんですが、組織の中にいて自分のポリシーを貫徹しようとする人間は僕からすれば必ず破滅します。あのやり方では。そのアンチテーゼが「パトレイバー」の後藤だったわけで。もしルパンをやってれば、かなり僕が宮さんに持ってる感情を重複させることになっ
てたでしょうね。宮さんは猪突猛進というタイプが非常に好きですから。僕は基本的に頭のいいキャラクターが好きなんで、銭形みたいな突撃精神だけっていうのはからかいたくなっちゃうんですよ。もしかしたらルパンみたいな人間に一番いて欲しいなと思ってるの
は、銭形。ああいう男がいなければ、自分はますますスポイルされていくだけだから。
不二子は宮さんもたぶんそんなに好きじゃたかったと思うんですよ。大塚さんは好きだったみたいですけど。僕は一種の職業婦人みたいな感じなら成立するかなって感じで。女大泥棒なんてリアリティがないと思って、レポーターにしたんですよ。
五エ門に至っては、ただの兇器ですから(笑)。あれは特殊兵器であって、あるシチュエーションにはまらないと、何もできない男なんです。僕は次元はかなり使えると思ってるんですよね。やっぱりそばで見てる男だから。頭いいし、ハードボイルドを除いちゃえば、次元ていうのは面白いスタンスで。自分じゃ事を起こさないけど、ルパンがやることなら付き合いたいと常々思っててね。僕はコインラン
ドリーに洗濯物放りこんで、帰りにコンビニでおにぎり買ってくるような次元を考えてたんです。ルパンは、ゴロゴロしてるだけで、何もしない。そういうサポートする男って基本的に好きなんですよ。
でも今はもう彼らは自分の手には乗らないキャラクターでしょうね。たぶん後藤みたいなルパンはだれも見たくないと思うんですよ。それに今時あんなハードボイルドと侍じゃ、アナクロなおじさんにしかならないでしょうね。冗談ならともかく、今やると非常に悪質なパロディにしかならないと思うんですよ。だからイヤなんです。半年も企画やってれば多少情も移りましたからね。
アニメで同時代をやろうっていうのはとっても難しいですよ。キャラクターがそれに耐えるかということで。「パトレイバー」みたいに組織の中で動いてる人間は一種のリアリティかあるんです。でもルパンたちはみんなフリーでしょう。これは本当言うとキャラクターとして弱いんですよ。今みたいな時代だからこそフリーの人間の力に説得力を持たせるまでが大変なんです。だからアニメの大半が軍隊や警察だったりするのは、ある意味では当たり前なんですよ。昔みたいに何だかよく分からない博士がいて、秘密基地でロポット作ってる、という設定がいかにアニメと言えどもパロディにしかならないんだから。リアリティがないと、どうしても絵空事の世界になる。マンガだからこそ、そういうことが大事なんですよ。
「ゴルゴ13」といえどもスイス銀行がバックにあるわけで。だいたいルパンは儲けた金をどこでどう処分しているのか、その手の話はよく宮さんとしましたよ。「死の翼アルバトロス」(80)なんてもう苦しそうな感じしましたね。だからライトバンの中ですき焼き食ってるでしょ。ああいうものでしかリアリティを成立させられないんですよ。すき焼きの肉取り合ったり、「カリオストロ」でスパゲティ取り合ったりする。ああいうところで、一緒に闘う仲間であるとか、生活のリアリティがあるわげで。モナコで日光浴してるゴルゴ13みたいなルパンなんて知ったこっちゃないと思ってたんでしょうね。
本当言えば、宮さんがもう一本作れたら良かったのかもしれないけど、絶対やらなかっただろうし、周囲の期待に応えないことが一番いいんですよ。ヘタに応えると、良くって当たり前、失敗すれぼ袋叩きだから。ただ愛着はあるでしょうね。大塚さんなんか今でも好きなんじゃないかな。やっぱりみんな若かったんでしょうね。僕が「うる星やつら」やってたように、エネルギーだけで作ったように、やっちゃいけないことやったり、随分怒られもしただろうし。そういう意味では愛着があるんじゃないですかね。だからこそ、そっとしておいてあげた方がいいと思うし、宮さんもそう思ってると思う。
今さら声のそっくりさんを使ってまでルパンを見たいというファンの想いも度を過ぎる、とね。それは僕自身「うる星」シリーズで味わったことで、これで終わりだと思って「ビューティフルドリーマー」(84)を作った。どう考えてもあそこで終わってるのに、その後何年も何年も作られ続けて。僕はやっぽり作り手の責任としてどこかで必ず死に場所を見つけてあげるべきだと思ってるんですよ。そうすることで、記憶の中にルパンならルパンが場所を得られるわけで、死んだんだか生きてんだか分かんないゾンビのようにさまよってるキャラクターを見るのは、正直言って作った側としては忍びないですよ。僕自身そういう経験があるからこそ宮さんの思惑をそうと察したわけで、たぶん問違ってないと思う。
これは大事なことだと思うんだけどね。最終的に実はファンヘの大サービスだと思いますよ。学生の頃や思春期に見たキャラクターといつ訣別したらいいのか。今は大人がアニメのビデオ買っても恥ずかしくない時代だから売れると分かれば作るし、それじゃいつまでたっても死ねない、いつまでたっても卒業できない。これが本当のサービスかと言うと違う気がします。
今思えば僕がルパンをやることに関して言うと、多少無理があったかなという気がしますけどね。そういう意味で言えば、読み替えるという範疇を越えてたかもしれない。まあ、やっぱりやらなくて良かったのかなと思う時もあるし、やってみたかったという気がす
る時もありますね。(三月十二日、国分寺にて。構成・石井理香)
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